制作ロス

暮らしの手帖、石川直樹氏の頁で読んだ「山ロス」のこと。標高5000mの44泊に及ぶ暮らしから海抜0mの東京に戻り復帰にご苦労されるという話。頭がぼんやりし、何もしたくなくなる。メールの返信ができない。電話が鳴ってもとれない。着信をみても電話を返せない。その文章を読んで、これはいまの私だと思った。長期制作を終えた時に同じような身辺になる。石川氏ほどの大仕事で世界的登山とは比べものならないのだけれど、心をずっとその地に置いてきた時間が長ければ長いほど「制作ロス」に陥る感がある。

前作「紫」の京都ではその感が何なのか理解できなかった。新作「あめつちの日々」の沖縄で少しそれが何なのか体感してきた。石川氏のよると心の穴は時間で順応していくようだが、そういっても氏もなかなかご苦労しているよう。わかります。見上げると東京の空、マットな空気、人々の表情、きらびやかで過剰なネオン、事故の起こる電車、知ってる風景だけどなかなか順応できない。人に会う約束をするのも、その場所に向かうのも、たったそれだけの日常が苦労になる。こうやって友達や仕事を無くしていくのか。いつ「制作ロス」から解放されるのか。

だけども現実にはそんな心持ちを体感しつつ過ごせるほどの余裕はない。もう映画館ではチラシが並びだし前売り券の販売が始まった。小さな映画が進むべきところへ進んで欲しいと望む。必要な人のところへ届くように願う。いまだに「制作ロス」なんて言ってる場合ではない。前へ進みます。

写真は前売り券があがってきた時。いよいよ広報が始まる。

 

 

 

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