民藝館展2018


寒くなってきた。いつも地味な私であるにしろ今年はいろんな事がそれなりにあった。年明けから映画製作の準備が具体的になり、春にはなんと裁判員制度の抽選に当たり猛夏はロケを決行して、秋は特急で正倉院に向かい紅葉みる間もなくあれよあれよと12月になった。この1年にて友人と面会した日は数えるほどしかない。

美術館や博物館に引きこもる事の多い人生を生きてきたけれど今年はそれが出来ない年だった。そのかわりに本は増えたのだがこれは制作資料のたぐいにてあまりその代わりというものではない。しかも私の暮らす町は財政難だからと図書館の会館時間が短縮され今では18時で閉館になってしまった。人々が帰路につき館がようやく落ち着きを取り戻してこれからが都合よき時間だというのにその図書館が使えない。居場所ひとつが失くなり困っている。

沖縄にてやちむんを眺めたい季節になったなあと嘆き仕事に従順できずにいたら、東京駒場で「日本民藝館展2018」が開催される事を知った。これは日本民藝館が毎年開催するその年のよき仕事を奨励する展示会。実はこの2年ほどすっかり忘れていた。今年はなんとも良き連絡がありこの会を思い出した。

「あめつちの日々」という映画は沖縄県読谷村・北窯で撮らせていただいた。そこの親方4人にどれだけ世話になったか、数年経った今でもそのひとつひとつのエピソードは柔らかく記憶に残りそれが私の中の沖縄となっている。北窯は笑いが絶えない日常の中心に、大きくそびえる登窯の存在がある。陶工たちが日々補修をしつつ手間と時間をかけ厳しく登りの仕事と向きあっているのは一目瞭然のこと。そして映画が完成した後の2年ほど前に米司親方が病気で倒れた。この2年は親方が今日に仕事を復活なさるまでの道のりがいつもどこか自分の中に詰め寄せて来ていた。御本人やご家族はいくらでも寄せてくる色んな波を超え土を焼く仕事を復活されたことだと思う。しかしながら撮影時に長く工房に滞在し仕事を眺めさせて頂いた経験上に私は、その期間に工房を支えた陶工たちも忘れる事はない。まだ若い彼らの親方不在の毎日はある程度は想像がつく。若者の成長と成長がきっとあの窯の底力を強化したに違いない。

その民藝館展で米司親方の一番弟子が奨励賞を受賞したと連絡があった。私にそれを伝えてくれた諸先輩の文字は彼が受賞した事実が嬉しくてたまらないというものだった。ああみんなが見ているんだなあと心地よい出来事だった。その彼はこの12月のあと1週間ほどで弟子10年の期間を終え米司工房を卒業する。親方が倒れた2年を支えいよいよの船出となる。

私は世代を超えていく人間の物語に興味がある。時代を超えるほど強度あるものにはその手の物語はついてまわる。そんなに大袈裟な事ではない。奨励賞と卒業のお祝いに工房へ向かおうと思っていたのだが、昨日その受賞したという品物を日本民藝館にて見て考えた。奨励賞の札を置いた焼き物は沖縄のいっちんやちむんだった。やちむんの中でも最も沖縄を感じられるいっちん。これまでの仕事に丸を打ったという素直さと素晴らしさに笑いがこみ上げる。沖縄を離れて卒業後の彼の仕事はどうなるのかなどそれは本人が決める事だろうし心配でも何でもない。楽しみ以外の何ものでもない。工房長、今年の陶器市に行くことをやめにするよ、またどこかで会いましょう。代わって私は関東の空の下にて弟子が独立を果たす米司親方の晴れの気持ちを痛いほど楽しみたいと思うのである。