長崎の東松照明


忘れていた時に突如現れて驚きを隠せないという、そういうシチュエーションだった。

それは先週の事。インターネットのニュースや新聞テレビのニュースなど、色々目にして自分なりに思うこともあり、地に足がつかない時代感のようなののを感じていた矢先、知りあって3〜4年の谷口すみてるさんに会うために長崎に向かった。その日谷口さんが入院をしていた事を知り、急遽お見舞いにて面会というかたちになってしまった。自分の頭のどこかずっといる長崎。それはここにも幾度か書いたことがあるけれど「ナガサキの郵便配達」という本との出会い。谷口さんはこの本にでてくる少年のモデルである。

毎日の馬鹿をやっている日常が、長い間これが普通だと思いこんでいた。特に寝て起きたらまた夢がやってくると信じていた。それはそれは楽しい人生。疑問もなく責任感なく自分の好き嫌いだけで生きてきた。有名デパートで買い物をし、有名シェフのレストランに通い、癒されるとかなんとかいってペット写真を公開シェアし、ファッション語録に目を輝かせ、有名大学、有名企業を意味なく好む。このような暮らしで自らの幸せの価値を図っていたように思う。みなさんどうですか

ところが自分たちで映画を作り始めてから急激に貧乏となった。これでいう貧乏というのは紙幣の事である。無くなった。綺麗事でなく無くなったのである。しかしその変わりに何かが現れた。というと、どこかの自己啓発本の見出しのようだが違うのである。無くして得るものの大きさは体験したものしかわからないかもしれない。といってみなさんへ進めているわけでもない。人それぞれ係というものがあって向き不向きもあるもので。しかし共通して言えることは「勇気」だ。

長崎へ話を戻すと。その長崎の町を一緒に行った知人たちと歩いていた。5月の長崎は風がサラリとただよい、新緑が綺麗。石の路には柔らかい照があたり、汽笛の音が遠くから聞こえる。歩いていてもなんとも心地よい。画にかいたような素敵な町。しかも食事は文化があり美味しい。正直困ったなと感じていた。そしてアポイントがあるデザイン事務所を訪問した。

初対面の方々と会うミーティングだったのだけれども、失礼ながら頭が別のところに行っていた。というのも、そこで東松照明を思い出したからだ。忘れていた。私は東松さんというと沖縄だと思いこんでいた。油断していた。アポイント先の事務所に向かう直前に思い出した。そしてその事務所にて彼の写真集を見つけて気が動転した。そういえば数日前にいただいた前メールでそういう事も書かれてあったなあ、とも思い出した。なんということか。

お題の打合せ内容はほぼ消え失せ、東松写真のことばかりに気がいく。ほかに打合せをしてくれるまともな人たちがいたからというのもあったのだけど。自分がみている長崎を東松さんはどうみていたのか。ドンとした音をたて東松が自分の前に現れた。その現れ方が衝撃だった。変な汗がでてきた。なんというのかなロレツが回らない。

東松氏の写真集に谷口さんの写真が1枚あった。ひっそりと。凛として。町の写真の中にすっとその写真は組み込まれていた。なんともいえない気持ちになった。東松さんも谷口さんが生きている存在をみていたのである。

「あめつちの日々」を制作していた時、歴史を背負った町を撮るという事に非常に苦労した。本当に難しかったし辛かった。その時間を生きたことがどれだけ勉強になったことか。計りしれない。翌日、ひとりになって長崎美術館のライブラリーに向かった。東松さんが私達に残したいつくかの写真集を手に数時間すごした。「ぼんやりとしてられない」と沖縄の親方が言い、「さぼるな」と京都の先生が言っているような気がした。

すべて真剣に生きなければならない。今を生きている人間の責任だと考える。誰が何をしたとか、誰が何をつくったとかくだらない。たまたま品物や作品はかろじて残ったとしても、「誰が」なんていう情報は数千年もつわけがない。後世に残すのは自分でなく仕事だと思っている。今回の東松さんの登場には本当に感謝してる。目が覚めたとはこういうことだ。