土を喰う日々 – 2月

今日も先月同様に「土を喰う」(1982年出版)の2月を読む。しかも本文より真似をしてここでも“すりこぎ”から始めるとする。

正月に母からすり鉢を譲り受けた。もちろん“すりこぎ”も拝借した。水上氏の手作り道具と違って味気なく思えたものの、山椒の枝が鉢で砥がれてすり減った姿は眺めているとそんなに悪くはない。庭に山椒の木はないはずなのだが何処からきた枝なのかは聞かなかった。

昨年の秋大分にある小鹿田焼の工房を訪問した時だがすり鉢が欲しかった事を思い出し、何故すり鉢が小鹿田焼の名産なのかを聞いてみた。陶器を並べている店で小鹿田焼のそれに何度も出会っていたからだ。大分の山深く暮らす料理にはすり鉢を必要としていたとか、土が丈夫で向いているとか、何か理由があると思っていた。だけど返答は違う理由だったのでここには書かない。そういう事もあるものだ。ややあてがはずれた。

母が使っていたこのすり鉢を子供ながらに覚えていて、たまに手伝いをして、味噌や山椒を擦る鉢が動かぬように押さえていた事がある。たぶんその当時からこの“すりこぎ”だったと思う。それを見ていても料理のお道具に感心なんてほとんどなく、デパートに売られているつるりとした物とずいぶん違うな、どうして枝のままなのかと頭を過った程度だ。その頃は山椒の味は苦手な方だったので自分の疑問に前向きに考えておらず、過去からの人間の知恵へ言及も関心も生まれていない。大人になってちりめんに混ざったその風味に再会し、ツンと鼻に響く個性が炊きたてご飯と湯気に添えられようやく許すことができたぐらいだ。すべて何でも聞ける時に聞いておけば、少しは奥行きある人間に近づいたのだろうにもう遅い。

人間が作りだすものに食べものが影響していると思っている。特にものづくりしている人には深く綺麗で文化ある食べ物を食して、美しいものを世の中に生み出して欲しい。多分、私のような暇人でしかそんな呑気な希望は言ってられないのかもしれないけれど。現代の人はみんなただただ忙しい。今年も町のいろんなところで2月の恵方巻きの旗を目にする。昨年の意味なく多大にこしらえ売れ残りを廃棄された恵方巻きの写真は、目にあまる以上の衝撃だった。歳をとったせいか世の中の仕組みが少し理解してきたためか、こういう粗末な野心だけの行いに心が痛む。心臓に悪いのでやめてほしい。

変な話だがこうして譲り受けた古びた鉢などを眺めていると、丁寧に自分の道なりを歩いていこうと思うのだった。まだ寒い日が続く。