次作


「紫」2011や「あめつちの日々」2015はまだ各地で上映会を開催していただいている。このフィルムたちは私たちに友人を連れてきてくれるし深く勉強をもさせてくれる。自分の人生で最も影響あるトピックのひとつとなった。実は若くから映画監督や映画作家を志していなかった。映画づくりは心の準備もなく始めた事もあり、少しづつ作りながら勉強させてもらっている要素が大きい。たいへん有り難い。

そうして「あめつちの日々」を公開してから時間が経った。この期間はあっという間だったけれども、いやいや、そうでもなかった印象の方が大きいかもしれない。色んな想いを体験してきた。まだ道半ばなので愚痴はどうかと思うけれど、今日のここまでくる事も実際にはあまり軽いものではなかった。しかし時間になったのでそろそろ次作についてここに書いてみようと思う。

 私たちが次に向きあうのは「フランス」「長崎」の「人間たち」である。

2015年から考えていた構想があっちに行ったりそっちに行ったり駄目になったりとかなりウロついた。NYから欧州と各地を回り、この1年は長崎に月1で行っている。長崎や東京でのこの映画構想の仲間たちに恵まれ、プロデューサー陣にも恵まれ、2018年の5月を迎えている。

 ある本に出会っていた。この本の事はここにも何度か書いた事がある。この本を巡ってウロウロしていたのである。この内容は劇映画としてもいいのではないかというアドバイスをもらったのだけども、私はこの本に関係する生身の人間が生きている事に拘りがありドキュメンタリーという映画づくりを選んでいた。しかしこの生身の人間は昨年の夏に居なくなってしまった。

 だけどである。失って朦朧として半年の時間を経て、少しづつある実感が浮かび上がってきた。映画は時間をカットバックができる数少ない代物かもしれない。そもそも人間が年齢を重ねる度に少しづつ理解が増してくる時間の大事さ。日々はなんとも有り難い毎日なのではないだろうか。そして自分が預かった時間の中でいったい何を残していくかというのが本来の仕事なのではなかろうか。後世のために世の中に何を放り投げていくか。それは映画の事だけではない。

身体が動く間に出来る限りの事はしておきたい。自分との勝負かもしれない。

今回の映画を完成させるために多くの仲間が集まってきてくれている。これまでの映画つくりとは全く違う。もちろん完成させるつもりでいる。公開を待っていてほしい。きっとラブリィなドキュメンタリー映画になると予想している。