始まりの書店

 ようやく花は咲き始め今年も春が来た。二月堂の修二会も終えた事だしダウンコートを片付けよう。薄めの上着で颯爽とでかけたいところだが、花粉に弱い私はマスクでそれはもう全く粋でない姿をしている。

 

 「長崎の郵便配達」はポストプロダクション計画がまだ出せない。なんだろう、欲がでてるのかな。あまりいい事ではないなあ。よりシンプルにしたいのだけど。考える。自然にまかせて考える。

 

 こういう迷いの時や企画を始める時に私は必ず行く場所がある。だけど東京のそのひとつが実は暮れに無くなってしまった。12月に訪れると店の前に張り紙があった。ただただ驚きで無念の声を上げてしまい佇んでいたら、隣の店主がその声を聞いて「声かけたらまだ中にいるよ」と教えてくださった。店の前でしばらくの時間立ち尽くした。本屋さんの経営は厳しいとよく聞くけれど、まあこの書店については無関係だと勝手に思い込んでいたし油断しきっていた。私が勝手に安堵感を持っていたんだと思う。こういうまさかの事態を想像していなかったのだから。

 

 「あめつちの日々」の映画を立ち上げる時にもこの書店に向かい、その店主の個性が炸裂するような宝物のような大きな棚に「沖縄の陶器」があることを確かめ、高田Pが近所のATMに走り、ようやく私達はこの本を手に入れた。思い出す。あの時も勇気をもらった。私たちの中に、次の映画を始めるんだという高揚感がたまらなくあった。再び自分たちで自主制作するという覚悟ができたのは、この古くて大きな本をここで求めた事がスタートだったように思う。店主は無言で大きな紙袋に入れてくれた。

 とことんこだわりのある趣向を持つ人が大好きだ。どんな方向性でも専門という堅苦しさを超えたいたずらな究極のヲタクが大好きだ。

 

 今年も春だ。今日も頭をかかえて、いくつか乱雑なメモを繰り返し眺めている。この書店は自分にとって、今日のこういう日に訪れたい「始まりの書店」だった。