プロダクションノート – 音声テープ

この映画の為Isabelleと連絡を取り合ってる間にPeter Towunsendのカセットテープが見つかった。これはPeterご本人が1982年の長崎取材時にメモ代わりに録音をしていた声メモだ。それを彼女から預かり思えばもう何年か経つ事になる。発見当時のその時の感動は忘れることができない。

音声の分析作業にかなりな手間と時間がかかっている。相当な量があるもので実際にまだやっている。英語を理解する能力が必要な上、当時のカセットテープという機械が巻き戻しや重ねて録音することができる機能を持つため、しかもメモであって文章ではないため、録音された内容を把握する事に苦戦している。音の質としてはデジタイズが良かったのか聞き取りやすいので助かっている。この音の文字起こしは関係者に大変な苦労をかけた。文字に起こした原稿は次は編集者によって全素材を字幕にしてタイムコード上で編集機に入れられスタンバイされた。これでようやく編集の準備が完了。まあ何というかこういう苦労をお金もなくやりのける私たちのスタッフはそうとう変態系なのではないだろうか。

そうは言っても取材者のすべてを把握する事は一生かかってもできない。しかし今では声主の語りやちょっとその癖のようなものに慣れてきた。しかもこの膨大な声音を解読していく過程にて、ご本人の個性が少しづつ浮かび上がってきたように思う。とにかく1982年に言語の違う国にたった1人でやって来て黙々と取材しているのである。長崎の市内外を訪ね歩きまわり、人に出逢い、懸命に取材している様がわかってきた。熱を感じる。Peterはきっちりと長崎に真剣に向き合っている。人々は映画で彼の実声を聴き彼をどのぐらい想像できるだろうか。いい時間だと思う。

今年になって受け取った谷口さんの音声はカセットテープからではなくデーター保存されたものだった。こちらもタイムコードと文字お越しを開始している。なんとか2ヶ月ぐらいで揃うだろうか。こちらはややノイズが気になるのでノイズを消す作業も同時に行う。どこまで使える音質にまで追求できるか、本編集までにこの作業は続くとみている。信じられないことにこの仕事も私たちスタッフが自力でやっているのである。貧乏というのはあれやこれやと知恵を生む。これだけ自力でできるのならば、田んぼや畑で作物をつくるなどの人のためになる仕事ができないものかとふと頭をよぎる。映画だけでは生きていけない時代の映画制作者たちは、生存をかけてよそ見をしなければいけないのかもしれない。まあ出来ないのだけども。話しが逸れた。

2人の音声に耳を傾けている。もうこの世に居ない2人の存在感というのは不思議なもの。音というのは色んな思い出を引っ張り出す。この存在感は大事に静かにこの映画を支えてくれる事だろう。だから、もう少し頑張ろう。

生きる事を諦めないように、これも天国チームからの伝言か。