9月のある日

 週末は電車に乗った。途中駅に止まって扉が開くたびに人々の明るい印象が届く。流れる景色を背景に人々がウトウトしている。ゆったりとした休日の柔らかな光の中を電車は走る。こんな空間ならばともかく私は平日の電車の雰囲気が苦手だ。人々は日々の疲れから解放されていないのか眉間に皺の表情で瞬きなくスマホに集中し無言の圧を放つ。15年ほど前の私もこの移動手段を使い仕事に向かっていた。今のように自己作品を作るだけの人ではなく会社に通っていた。生活はそこそこ守れていたが体調は常に悪かったし、どんなに綺麗な服を買おうが、洒落た食事や豪華な遊びに明け暮れても一向に満足しなかった。

 私のような世代は自分の将来はうなぎ昇りだと信じてやまない日本を生きていた。若者とは夢を見るべきと世の中から背中を押された。もちろん私もその中の一人で、必死に人生をかけてやりたい事を追求していった。美術や劇をみたり、映画や本など興味ある世界にどんどん侵入して、それらについて仲間と夜を徹して語ったりした。電話時間は長かった。どんだけ出来損ないの私でも普通に存在してこれた。

  若かりし頃の私は、頑張りさえすればまだ幸せを掴む事が可能な時代に生きていたんだ。それもこれも、先代が幾つもの時代のあれこれを経てようやく手にした平和の時代にたまたま私は存在しているだけ。特に自分のように女性が今のように社会で活動ができるようになるまでの道のりは相当長かったはずだ。ところが哀れにもそれに何の気づきもなく、私はその生活が当然で普通だと疑っていなかった。なんと不勉強な事か。身の程を知らぬ過度な何かを手に入れても一向に気が晴れない。それはそうだ。本当の豊かというのは良い物に囲まれて暮らす事だけではない。生活する事と自らが生きる事はやはり違う。当時はわからなかったが。

 

 制作中である映画のベースになる長崎を歩くと色んな事が見えてきた。東京では映画の骨格を探すために書籍を追った。そしてわかったのである。私は怖しいぐらい今まで何も知らずに生きてきた。かなり落ち込んだ。私たちは前の世代が経験した時代のレールの上をヨチヨチと歩いているだけに過ぎない。近代日本の歴史を学ぶことなく学生を卒業し大事な部分が欠損したまま大人になった。70年ちょっと前の事すら知らないというのは良質な大人の訳がない。

 

 反省した後は無責任に一瞬一瞬の時を生きるわけにはいかないとさえ思うようになった。太陽の光も雨の日も、普通の日常が素晴らしく幸せだ。作業部屋から見える窓の何気ない景色がキラキラして見える。しかし人間として忘れる事は止められない。いま制作中の映画は、個人的には忘却に杭を打つべく自分への挑戦だ。

 

 今日は中秋の名月。平安時代に中国から伝わったお月見は1000年を越えて人が伝えてきた文化。人が作った美しい伝統も、現実にあった良くない歴史も、なるだけ生きてる間に知ろうじゃないかと思う。たまたま手がけていた映像は記録するツールとして適しているし、消えてなくなりかけているものを映像でロックしておきたい。過去を知れば人は自然と前を向く。人はそういう風に細胞レベルで出来ているよ。時に落ち込み過ぎた冬を過ぎ夏を終え、雲の晴れ間を見上げたある時、人はそういう性質なのではないかと思った。

 

 今の若者にも自信を持ってゆっくり自分の夢をみるべきだと言おう。かつて自分が先代の大人たちからそう教わったように。未来を担う若者には自分が大事だと思えることに十分な時間を使える生き方をお勧めする。

 

(いろんな顔の写真=逗子市民センターで展示してあった子供たちのダンボールアート)