2020年の春

 次から次へと思わぬ事が起こる。桜を景色に卒業を祝ったりする行事もままならず、陳列棚が空っぽになる写真や不思議な牛肉の配給券などのニュースを耳にすると、呑気な私ですら書き続けてきた計画を続ける力が失せてしまいそうだ。動揺しているわけではないけれど、世界にとって2020年の春はとても厳しい風が吹いている。

 映画館も閉館だ。私の周りでも音楽家たちの発表の場は閉鎖になり演劇の公開も中止になった。色々だ。米国の映画会社ですら閉じるらしいと噂が届いた。私たちも皆さんと同じように春夏の職を失った。極小の私たちは長期戦の映画制作の最中だったので会社にゆとりなんかあるわけがない。2020年とは日本の歴史では戦後75年。この1年に間に合うよう願って制作してきた映画「長崎の郵便配達」は厳しさが増した。まあその厳しさは今始まった訳でもないのだが。

 そんな時にドイツの作家である知人から心配の連絡が届いた。こんな時は家に引きこもって執筆をすればいいと慰めてくれている。なんとなく自分と立場が違う感じが否めない。ドイツは国が芸術を保証すると発表しただけあって、彼女の文字に余裕を感じる。国の芸術感の違いを真に受けてあまり疲弊しないよう気をつけないと…。そう、文字は勝手に奥行きをつけて想像力を働かせてしまう。こんな時に自分の国文化を計るのは止めておきたい。

 

 しかし今週、こんな世の中に唯一私たちが販売している映画「紫」ブルーレイ&DVDをインターネットで購入してくれた人がいたと連絡がきた。いまでもポソポソと購入してくださってる方が続く。こういう時はインターネットは有り難いなあと思う。勇気をもらいます。この映画は故・吉岡幸雄さんご出演で、2011年3月に地震で揺れる東京のスタジオでモニターを抑えながら編集をした映画だ。当時こういう大事はもう無いだろうと考えていたが、日本は、いや地球はちょくちょく危機に出会っている気がする。

 これはもう地球がくれた試練であり、喰えないような小さな映画をつくる私たちは無駄な生き物か。もはや人々にとって本当に必要なものだけが残り、世の中に横着で人に無駄なものは淘汰されていく時代が来る気がする。必要がないと自らで見届ける時がきたか。時代を越えて本質が突き刺さるような良品だけが手元に残り、大袈裟でなくそれが将来の人の暮らしや人生を支えていくといいね。芸術文化でも、食文化でも。

 

 

 

       (写真:永平寺)