長崎マンダラ

先月の長崎で「音をたててドスンと現れた東松照明」という恐ろしい体験をした。その事態をここにも書いたし、何人かにも話をした。

デザイナー・山崎加代子さんより「長崎マンダラ」(@2000年長崎県立美術館)が事務所に届いた。山崎さんはこの図録をデザインされた御本人。当時の東松氏との制作過程のお話を伺えば非常にリアルで、写真家とデザイナーお二人のお人柄がうっすらと感じられる。プロデューサー・高田さんは到着した荷を開封せずに私にそのまま渡してくれた。「そのままがいいと思って」。大事件ともなると言葉がでなくなるとは本当で無言での開封作業。そこでみているプロデューサーは感動しているのか笑顔が数分こわばり面白い顔をしている。しかもたまにため息をつく。同じく筒状の荷が届きそれがポスターだとわかるとプロデューサーはそのままフレームを求めに速攻出ていった。

(色があまりに綺麗だったから)撮りたくなった「紫」。(活きた人と土をみて)撮りたいと思った「あめつちの日々」。映画監督志望でもなんでもなくこれまで生きてきたのだが、撮りたいものが現れた事実だけで映画を作ってきた。野生的というか養老先生のいう脳化社会の逆というか。カメラ機材はコロコロ移動にて、一切の商業的要素を持たない映画を作り抱えてきた。時代に合わない映画を小さな事務所で大事に抱えてきた。

これらの行動の途中報告としては、一段と濃い知人仲間が増え、その人たちは優良な栄養を自分たちに与え、時には緩い人生にピリ辛な風を吹かせる。内蔵的には臓器のバランスを整え栄養分は補充され….、もういいか。今回届いた荷物のように作るプロセスの間に起こる実際の物語(事件)が、どの教科書よりも自分を成長させてくれる。この10年は感謝という言葉が素直にいえるようになった。

昨晩は山崎さんからの包みを抱えて帰った。嬉しさと怖さで重かった。
息を吸ってはいて、息を吸ってはいて。帰路の風景が毎日と違って見えるなんて子供だけかと思っていた。