切られた樹

私の暮らす町には明治大正時代からの別荘跡地などが点在し、その跡であろう大きな門を構えたお屋敷が残っていた。建築は日本的な作りにやや洋風がみえたりと様々で、その或り方は私の散歩を楽しくしてくれるし町の大切な要素だと思っている。

ひとつ日本家屋のお宅があった。壁があるのでお家は詳しくは見えないのだが、壁の長さからも庭が広い事は理解できたし、壁をゆうゆうと超える大きな樹木が空に広がっている。小さな森のようだ。外界と接している壁は蔦のいろかたちが美しく模様をつくり、何千ものパッと手を開いたような葉が散歩している人を楽しませる。蔦の葉は季節ごとに顔つきが変わるのでこのお宅の壁は散歩の最大の楽しみのひとつだった。どんな方がお暮らしなんだろうと想像するのも楽しく通り過ぎていた。

ある日普段は閉まっている門が開いて車寄せに介護会社の車が停まっていたのが見えた。きっとご年配の方がお暮らしだったんだと頭をよぎる。同時に開いた門の隙間から木製の平屋家屋が少し見えて、ああ上品なお宅だなあと思ったものだった。時間の経った建物はなんていいんだろう、センス良きご年配の方がお暮らしなんだと思うとまた散歩が楽しくなった。

今年も春がきて枯れた蔦の枝から新緑が芽吹き、また小さなパッとひらいた手の様な葉が育ち始めていた。ところがある日私が勝手に名物としてきたその壁から蔦が剥がされていた。壁がむき出しになり永年あった蔦の跡がさもしく見える。蔦壁が鬱陶しくなったのか重々しくなったのかついに剥がされたんだなあと寂しくもあったが、さすがに持ち主の自由なので仕方もなくいつものように通りすぎだ。蔦の跡が自由に描かれたピカソの鉛筆線画のようだった。

ある日、門の扉に鉄製の格子がつけられた。一瞬何かを察した。大事があったんだろうか。そしてやはり後日工事の看板が貼られていた。寂しかった。他人様の持ち物なので仕方がないとはいえ、なんとも寂しかった。看板の前に立ちつくしていたが文字は読んでいない。読めなかった。それからどのぐらい経っただろうか。とうとう家屋は取り壊され平地となっていた。

昨日、慌ただしく母親と携帯電話で話ながら駅に向かって歩いていたら烏に襲われた。頭ギリギリにまで黒いなにかが飛びつきてきた。初めての事でギヤと叫んだと同時に周りをみると、いつものお家の庭には工事車両が入り大きく伸びていたはずのすべての樹木を切っていた。森はなくなっていた。切られた太い丸太が転がっている。携帯を切って落ち着いて周りをみるとまわりに幾つもの烏が叫んでいるではないか。工事車両のエンジン音と烏が闘っているような音が近隣に響いていた。さもしい風景だった。

いろんな町でもこういう風景はあるだろう。人の代が変わるという事はこういう事なんだろう。私にアタックしてきた烏は樹木のどこかに子を育てていたのかもしれない。何も持っていない自分から持ち主の人生の事まで口出す事はない。私は失くなっていくものに常に心奪われる。使命を失って終わっていくのか、ある理由を背負った人間が終えさせるのかわからない。東京中野では公園だった森がオリンピックのために切られて何かの施設になるという記事を読んだ。たった2週間開催されるスポーツイベントのために。経済は手強い。心意気なんて吹っ飛んでしまう。