山ぶどう籠の秘密

 

 100年を超えて使えるという山ぶどうの籠。私も山ぶどうの籠を大事に使っている。気がかりなのは材料の山ぶどうという植物。その植物はこれまで見た事がない。もちろんブドウ蔓はみたことがあるのだが、それは細くてひょろひょろとしていて、とてもじゃないがこれで籠が編めるなんて想像つかない。その存在が好きなだけに作り手と素材との関係を知りたいと思っていた。今年6月は念願だった山ぶどうの収穫勉強会に参加させていただいた。この実践勉強会にて、山ぶどうの謎がようやく理解することができた。

 貴重な6月某日。収穫は1年に1回の季節のみという。この日の参加者たちは斜行の山を平気でどんどん登る。彼らの登ってゆく勢いをみると素材に対する熱い姿勢を感じる。そしてなんとこの日は雨。しかし参加者たちは音をあげない。音をあげないどころか蔓を収穫したい気持ちが溢れんばかりと、頭から湯気がでそうなぐらい熱心に活動を続ける。大雨の中でも笑顔。

 先生に蔓を教えてもらう。木と蔓の見分けがでいないほど大きく太いものだった。見せてもらった蔓は何十年ものだそう。山の中の蔓の状態がようやく理解できた。

勉強会では先生方が樹木にぶらさがる太い枝のような蔓を探し出し、打ち落とし、参加者たちはその樹皮をせっせと剥ぐ。参加者たちが求めている材は蔓の皮である。先生の指導を受けながら枝のように見える太い蔓の皮を剥いでゆく。私もみなさんの熱さに引っ張られるよう斜めの山地に立ちながら「蔓収穫」を体験。立っているだけでも雨で濡れたどろどろ足元はすべるすべる。なんとか転げ落ちないよう足を突き刺してよろよろと自立し、皆さんを真似て蔓の表面を剥ぎ続ける。それがつるっと剥けたりそうでなかったり。そして剥いだ蔓はどんどん束ねられていく。数時間後、緑深い山肌に皮が剥がされ白くなった蔓の芯がぽいぽいと点在し目立ってくる。ちょっと面白い景色。蔓の皮の中身は山に置いて帰るのだ。

 素材に巡り会えるのが年1回というのはこういう事か。そう、今回の強度ある参加者たちというのは蔓を編んで制作物をつくる作家たちなのだった。つくりたくても材料がなくては成り立たない。参加者たちが必死なのは理解できる。この収穫作業の大変さといったら体験してみてようやくわかった。呆れんばかりの苦労。

 しかも実際にはそれでまだ終わりではない。剥がした皮を乾燥し、表面を整え、太さを綺麗に揃えて、そしてそこからようやく編む事ができるのだ。ただただ手間なこと。

 

そして、ようやく100年はもつといわれる美しい籠になる。

この度は勉強回に参加させていただき深く感謝。理由ある物の力強さを感じた。